KCB

日々の出来事、LIVE告知など、自由に

10年は

長いと感じるか、短いと感じるか

僕は....

まぁ、どちらとも言えますね。

 

解散当時に生まれた姪が今年で10歳になる。

そんな事を考えたりすると長い年月だとも思うし、10年前のあの日の熱は今でも良く覚えてたりするからつい最近のことのようにも思える。

 

皆さんにとってこの10年はどんな10年だったのだろうか?

僕は、何度もこのブログや動画等で喋りましたけど.....

バンド活動は10年前の7月29日で最後と決めていました。

その後は自分を必要としていただける環境があればギターを弾きたい。

有難い事に何年間かは途切れる事なく良い環境でギターを弾かせてもらえました。

 

自分の大いなる未熟さによってこの恵まれた期間を継続出来なかったんだけども。

 

 

 

思い返せば....

始まりは「サポート」という形でした。

 

2007年

当時、僕は「アクマヘッド」というバンドをやっていました。

そんな中、サリーさんから連絡を貰った。

「サポートという形で良いのでギターを弾いてくれないか?」

バンドを掛け持ちでやる考えは無かったのでサポートならと参加を決意した。

倫堕さんとサリーさんは横浜の先輩という印象だったかな。

亜門さんは初めましてだったけど、年齢を知って凄くビックリした。

初めてスタジオに入って3人のバンドに対する並々ならぬ熱を感じました。

 

「ひょっとしてコレは....と」

 

既に初ライブも決まっていた...という記憶

OAだったけど大きなイベントライブ

 

三曲を拵えて臨んだ初ライブ

確かな感触を得た記憶

 

「これは間違い無く何かを残すバンドになる」

 

そこからは凄いペースで曲を生み出していった。

ライブ毎に新曲を披露していた期間もあった記憶。

色々あって正式メンバーになった。

今でも辛うじて残っている「ケッチブログ」はその時に開設されました。

 

 

少しずつ人が集まってきた。

「何故こんなカッコいい事をやってるのに分かってくれないんだ?」と悔やんだ事もありました。

もっともっと評価されるべきだと思っていたし、

ミックス、マスタリングが終わる毎に確かな手応えを感じていた記憶があります。

 

 

約3年半の活動を経ての7.29新宿LOFT

会場には多くの人が来てくれた。

動画を観る度に「ありがとう」という気持ちになる。

僕はあの風景と熱を感じバンド活動は完全にやめる決心が付いた記憶があります。

LOFTというハコは特に熱を感じる事が出来るハコだった気がします。

 

まぁ、

バンドマン的立ち位置に於いてこれ以上は無いなと

 

 

2019年

.....いや、正式には2018年の年末

ひょんな事からもう一度バンド活動を行う事になる。

もう二度とやらないと頑なに決めていたのにですよ笑

その間、沢山バンドのお誘いがあったのに....

こういうのはタイミングなのだろうか??

まぁ、これが自分にとって本当に正しい決断だったのかは今はまだ分かりません。

 

しかし、一つだけ言えることがあります。

 

 

音楽をやってて

今が一番楽しいという事

40を迎えてこれを感じる事が出来ているのはある意味幸せです。

 

 

最高も最低も経験してきたこの10年

この10年を乗り越えられたのは紛れもなくKYOKUTOU GIRL FRIENDでの3年半の活動があったからだと自負しております。

周年を迎えるにあたって様々な懐かしい動画や画像、SNSの開設やサブスク解禁、ラストライブのリマスターなど、【再定義】という今一度振り返る機会を作る事が出来たのはメンバーや関係者様方、何よりも支えてくれた中毒者の皆様のお陰だと思っています。

 

 

 

 

本当にありがとう!

そして、これからもKGFを宜しく

 

2021.7.29

ケッチ

 

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KYOKUTOU GIRL FRIEND

https://youtu.be/ZTEyp1nhZvQ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

道半ば

ギタリストはもうしばらく続けます。